向日葵

〜もうひとりのセカンドチルドレン〜



■ Fifth Act …… アレックス・カーレン ■



Presented by 史上最大の作戦





「……司令」
 作戦部長はモニタに気を取られる余り、自分の背後に近づいた人影に、直前まで気
付かなかった。
 慌てて半身になって一歩引き、右手を額に当てる。
 アスカが「思い出せない」と評するのも無理はない。軍人然としたクルーカットに、
それこそ取ってつけたような目鼻が並んでいる。絵に描いて額縁をつけたような「軍
人」だ。あまりにも典型的すぎて、印象がないに等しい。
「いや、構わん。続けたまえ」
 そんな無個性の塊にミズーリ司令は鷹揚に手を振ると、その手を背中で組んだ。
 その格好で、二つのモニタを見上げる。
「……ほう、新システムを動かしたか」
「ええ。予定より三日ほど早いのですが……」
「遅くなるよりは遥かにいい。しかしバグはきちんと取れているだろうな」
「ええ。何しろパイロットの神経の深部にまで影響するプログラムです。慎重には慎
重を期しております」
「ならばよい」
 そして、しばらくの無言。
(……?)
 横目でチラリと、作戦部長はミズーリ司令の横顔を見た。
 取り立てて何が変わっているとも思えない。
 だが、何か違っていた。
 モニタの照り返しで、ミズーリ司令の表情は分かるようで分からない。
「……よくやっているな、どちらも」
「ええ。今の所完全に互角です。シンクロ率の面から言えば、アスカがアレックスを
7ポイントほど上回っているのですが、アレックスはその差を戦闘の勘で埋めていま
す。見かけ以上にアグレッシブですな、彼は」
「ああ」
 ……もう一度、作戦部長は司令の顔を見た。
 今の返事、何か変じゃなかったか?
 そもそも、普段はめったにシンクロテストなどに顔を出さない司令が、どうしてこ
こへ来ているんだ?
 必要以上の詮索は火傷の元と知っていながら、部長は考えずにはいられなかった。
 ……一方、モニタの中では、文字どおりの「死闘」が繰り広げられていた。
 既に両手両脚の指に余る数のビルが倒壊し、その倍以上の数の建造物に穴が開いて
いる。
 勿論それらはコンピュータ上のデータでしかないのだが、ここまでリアルに壊れて
いると、思わず被害金額を計算してしまいたくなる。
 そして、その中を二つの色彩が駆け回っていた。
 真紅と碧色。
 ルビーとエメラルド。


「……ちっ!」
 アスカはまたしても、舌打ちした。
 何度もLCLの中で戦闘を繰り返しているうちに、舌打ちが上手くなってしまった。
勿論それは本人が望んだことでは決してない。
 これで何回目だ。
 パレットライフルの照準が合うと思った瞬間、エヴァ四号機の姿がスコープから消
えたのは。
 相変わらずアレックスの闘い方はアスカの神経にいちいち障る。まるでこちらの動
きを全て読んでいるかのように、捉えたと思ったらビルの影に隠れてしまうのだ。
 腹立ち紛れに、そのままパレットライフルの斉射を命ずる。
 罪もないビルが、轟音とともに……音声も再現されている……崩れ去った。
 周りの惨状の大半はアスカが原因なのだが、勿論残骸の向こうに緑色のエヴァの姿
はない。
「ちょこまかちょこまかと、鬱陶しい!」
 本当に器用な男だ。先日の模擬戦では真正面からの戦闘に勝利して、そして今の市
街戦では完全に隠密と化している。
 突然、アスカの……エヴァの左側のビルに、二つの穴が開いた。
 弾着だ。
 と判断するよりも先に、アスカは射撃ポイントへ照準を合わせている。
 そして、アレックスの姿はそこにはない。
「……あっ!」
 瞬間的に、アスカは状況を察した。
「ポジトロンライフルしか、ない!」
 どういう仕掛けを施したものか、倒壊したビルの鉄骨にライフルを引っかけ、自動
的に斉射するように細工を仕掛けてあったのだ。
 だから、弾はアスカに当たらなかった。アレックスの腕なら、今の射撃で勝負がつ
いている。
 その目的は……
 不意に、アスカの視界が翳った。
「後ろ!?」
 脊髄反射としか思えないほどの判断力で、アスカはエヴァの身体を前方に投げ出し
た。
 本来ならそこでシートから身体が跳ね上がるほどの衝撃が伝わってくるはずなのだ
が、何も感じない。それが非常に違和感がある。
 視界の隅に、緑色の閃光が走る。
 やっぱり。
 両手にプログナイフを握りしめたアレックスのエヴァ四号機が、地響きの音……音
だけだ……とともに、先ほどまでアスカがいた場所に着陸した。判断が一瞬遅れてい
たら、今頃串刺しだ。
 しかしアスカの弐号機は、まだ立ち上がってはいない。
「プログナイフは?」
 しまった。
 今の動きの中で手からこぼれ、二三歩動かないと取れない場所に転がってしまった。
「ちぃっ!」
 一方、アレックスの動きは水のようにスムーズだった。着陸のためにしゃがんだ形
がそのままダッシュのための体勢になっている。バネで弾かれたように飛び出すエヴ
ァ四号機。
 みるみる、アスカの視界一杯を緑色の人型が埋め尽くす。
「……負ける!?」
 また、負けるのか。
 脳の隅が灼熱する。
 既に四号機はプログナイフを振り上げ。
 そして。
 いや、その瞬間。
 不意に、スクリーン全体が揺れた。
「!?」
 動きが全て、止まる。
 腕を振り上げた形のエヴァ四号機が、写りの悪いTVのように左右へブレる。
 ばちん。
 それは、音ではなかった。
 アスカの頭の中で、何かが不意に切れた音。
「う……っ!!」
 アスカは両手を口元に当てると、前のめりになった。
 全ての、視覚聴覚嗅覚味覚触覚、全ての神経から何かが逆流する。
 ジェットコースターが長い長い登り坂を昇り終え、落下の瞬間に入った時の、あの
感覚に似ている。
 胃が痙攣する。身体中から力が、水のように流れていく。
「う……う……」
 背中がビクビクと震えた。自分の身体が、自分の身体でなくなったような感触。
「う……げっ……」
 あまり他人に聞かせたくない音を、アスカの喉は発した。
 喉を何かが充たし、溢れた。


 アスカの目の前を、白い液体のような物が、ゆらゆらと流れた。
 それが朝食時に採ったポタージュだと気付くのに、そう時間はかからなかった。


「どうした!!」
 部長の声は、明らかに動揺していた。
 それはオペレータ達も同じ。
 突然耳をつんざかんばかりの警告音、モニタを走り回る「Alart」の文字列。
「何が起こった!?」
「分かりません、精神汚染が始まっています!パルス逆流!」
「プログラムのバグか!?」
「確率的にその可能性が高いと思われます!」
「な……」
「精神回路を自動的に遮断、プログラムEv.42を強制的に終了します」
 オペレータの一人が、目にもとまらぬ速さでキーボードを叩く。コンソールを猛烈
な勢いで数字と文字が流れてゆく。
「パイロット02、意識ありません!」
「パイロット04も同様、生命に異常はありませんが……」
 やがて全ての警告音が、止まった。
 そして赤い文字も、まるで何もなかったかのように消える。
 その中で、オペレータ達の息づかいだけが聞こえた。まるでマラソンを走ってきた
かのように荒い息。
「状況は?」
 不意に口を開いたミズーリ司令の言葉は、その中で浮いているとさえ思えるほど静
謐だった。
 動揺を隠しきれないオペレータ達が、それでも正確な状況を報告する。
「精神汚染、止まりました……」
「パイロット二名に、生命の危険なし」
「そうか、ならいい」
「いいでは済まされんでしょう」
「パイロットが無事なら、構わん。ただしプログラムEv.42はもう一度フルチェック
だ」
「はっ」
 敬礼する作戦部長だが、その頃には既にミズーリ司令は踵を返して司令室を歩み去
っている。
 その背中からは、何も伝わってはこなかった。
 作戦部長は、取りあえず目の前にある仕事に専念することにする。
「パイロットの回収を急げ!」
 ガラスの向こうに、二本のエントリープラグが斜めに横たわっている。


 シャワーのお湯は、我慢できるギリギリのところまで熱くする。
 それはアスカの癖だった。
「……っ!」
 それでも少し、我慢のラインを超えていたらしい。一糸まとわぬアスカは、思わず
顔を歪めていた。
 だが、決して温度を下げない。身体中から何かを流し去ろうとするように、手にし
たスポンジで何度も何度も身体をこする。
 ……短い気絶の後、アスカが目覚めていの一番にしたことが、この入浴だった。
 考えてみれば当たり前かもしれない。年頃の少女が、自分の吐寫物にまみれてしま
ったのだ。いくら救出後に洗浄を受けたからといって、そうですかでは済まされない。
 恐らくはLCLの一分子までも取り除かれているのだろうが、それでもアスカは何
かに取り憑かれたように身体をこすり続けた。
「……ふぅ」
 ようやく自分の心の汚れまでも取れたのか、アスカはシャワーのコックをひねった。
 勢いよく出ていたお湯がみるみる細くなり、やがて数滴の雫を残して止まる。
 ずっと聴覚を充たしていた水の音も止まり、換気扇の音だけがこのバスルームを支
配する。
 抜けるように白い壁に頭をもたせかけ、アスカは小さくため息をついた。
「また、負けたか……」
 完敗だった。たとえコンピュータ上のシミュレーションに過ぎないとはいえ、全て
後手後手に回らされ、見事に罠にはまった。
 プログラムの暴走がなかったら、九分九厘、アスカが負けていた。
「……」
 無言のままシャワールームを出、丁寧に畳んで置いている服に腕を通す。
 苛立ちはある。だがそれは、やはり先日感じたのと同じ、ひどく空虚な物だった。
 ふと、ノックの音がした。
「アスカ、入るよ」
 ドア越しでも、この声だけは聞き間違えない。
 一瞬陶然となりかけて、慌ててアスカは気持ちを引き締める。
「ど、どうぞ」
 慌てて全身をポンポンと叩き、変なところがないかチェックする。
 やはり、自動ドアをくぐって入ってきたのは、加持リョウジだった。
 相変わらずシャツの裾はズボンから出して、ネクタイも緩んでいる。ひどくだらし
ない格好なのだが、アスカの目から見れば「男らしい」という風に映る。あばたもえ
くぼとはよく言ったものだ。
 加持はきょときょとと周囲を見渡し、空いている椅子を見つけて腰掛けた。
「……で、大丈夫か?」
 無理にアスカは笑顔を作る。
「う、うん。大丈夫よ加持さん。あたしが強いの、知ってるじゃない」
 強いけど、負けた。
「ハインツ部長が謝ってたぞ。どうやらプログラムのミスだったらしい」
 一瞬その固有名詞が分からなかったが、すぐに作戦部長の名前だということを思い
出した。
(そう言えば、そんな名前だったっけ)
 その程度である。
「平気よ」
「そうか……」
 それだけのために来てくれたんじゃない。
 連敗した自分を気にして、様子を見に来てくれたんだ。
 その心遣いが分かる。分かるから、嬉しい。
 分かるから、悔しい。
 「いいところ」を見せられなかった自分に、腹が立つ。
 とそこで、自分をそこまで追い込んだ相手のことが気になった。
「アレックス……は?」
 その固有名詞を苦労して発音しながら、アスカは加持に訊ねた。
 少し複雑な表情を見せる加持。
「ん……まだちょっと、ICUにいたっけかな。彼の方が精神汚染がひどかったらし
い」
「……あっそ」
 その点に関してだけは、アスカは彼に勝ったわけだ。大して自慢にもならないが。


 結局、加持がアスカの部屋を訪れたのは、彼女を連れ出すためだった。
 ちょっとしたロマンスを期待していたアスカだったが、何のことはない、単に再検
査を受けるためだ。
「え〜、またリンネ先生の検査ぁ?」
 NERVドイツ支部の廊下を歩きながら、アスカは隣を歩く加持に不満の声をぶつ
けた。
 アスカより頭二つ分高い位置にある加持の表情は、少し苦笑の影を見せている。
「そう言うなよ、何せ神経をコントロールするプログラムにバグが見つかったんだ、
検査しないわけにはいかないだろ?」
「そりゃ、そうだけどさぁ……。あたし嫌いだな、あの先生」
 正直な心情を、アスカは吐露した。加持の苦笑が深くなる。
「そうかなぁ?優秀だし、いい先生だと思うぜ」
「それは、男の人から見たらでしょ?」
「うん、悪くない。美人だし、スタイルもいいし……」
 アスカは反射的に、加持の脇腹をつねっていた。
「てっ!」
「もう、男の人ってどうしてこうスケベなの?加持さんは、あたしだけ見ててくれた
らいいの!」
「はいはい、お嬢様」
 笑って、加持はアスカの髪をかき混ぜた。アスカがそうしてもらうのが好きなこと
を知っているからだ。
「ん、もう!」
 懐柔されていると分かっていても、その手の感触が気持ちいいから、つい甘えてし
まう。
 屈託のない笑い顔で、二人はいくつものドアの前を通り過ぎた。
 その時。
「……あ」
 と呟いて、不意にアスカは立ち止まった。
「……」
 機嫌のよかった顔が、みるみる険しくなる。
「アレックス……」
 廊下の向こう側から、少年が一人で歩いてきていた。黒のタンクトップの上からデ
ニムのシャツをはおり、相変わらずGパン姿。
「……あっ」
 向こう側も気付いたらしい。アスカを見て、いつも通りののほほんとした顔が、少
しだけ硬くなった。
「よぉ」
 だがこうやって挨拶してしまうあたりが、やはりアレックスだ。
 アスカはしかし、そのそばをすり抜けて通り過ぎようとした。完全無視だ。
「おい……」
「うるさいわね!放っといてよ!!」
「って言われてもなぁ……」
「いいじゃないの、あんたが勝って、あたしが負けたんだから!!」
「そりゃまぁ、何というか」
「いいじゃない、あたしに勝って、日本でもどこでも勝手に行きなさいよ!」
「アスカ……」
 と言ったのは、困ったような顔のアレックスではなく、加持だ。取りなすようにア
スカの肩に手をやるが、まるで駄々っ子のように彼女はそれを振り払った。
「いいから加持さん、こんな奴放っといて早く行きましょ!リンネ先生が待ってるん
でしょ!」
「いや、まあそうだけど……」
 と、その時。
 三人が立っていた場所のすぐそばにあるドアが、音を立てて開いた。
「……おや」
 その声に、聞き覚えがあった。アスカは思わず怒鳴るのをやめ、振り返っていた。
「司令……」
 ここNERVドイツ支部の総責任者、ミズーリ司令が立っていた。一部の隙もない
制服姿だ。これもまた、いつも通り。
 端正な髭をひねりながら、司令はアスカに訊ねた。
「どうかしたかね、ドアの向こうまで聞こえてきたぞ」
「……何でも、ありません」
 表情と声にブラインドをかけて、アスカは一歩退いた。怒りに水を差された格好で、
少々ばつが悪い。
 アレックスは……やはりぼんやりと、司令の顔を見ている。
「ならいいんだが……」
 アスカと、アレックスと、加持。三人の顔を等分に眺めていた司令だが、まあ加持
という保護者がいるということで大丈夫と踏んだのだろう、二三歩歩き始めた。
 その歩みが止まった。
「ああ、そうだ。アレックス」
「……何でしょう?」
 その返事に、アスカはふと声の主の少年を見た。
(……?)
 こんな表現がこの少年に対して許されるのならば。
 アレックスは、不機嫌そうだった。
 よく見ると、決して友好的とは言いかねる目つきでミズーリ司令の顔を見ている。
 いつもはぼんやりしている緑色の目が、「敵意」に近い色をしている。
(……ひょっとして、嫌いなのかな、司令のこと)
 あまり人とか物事とかに好き嫌いのなさそうなアレックスなのだが。
 アスカ自身は、ミズーリ司令に対して、そう大した感情を持っているわけではない。
正にしろ負にしろ、そういった感情を持つには会う時間が短すぎるのだ。めったに顔
を合わせないし、喋ったこともあまりない。そういう機会を持ったところで、会話に
接点がないだろう。
 いかにも「軍人」然としたミズーリ司令は、辞令を読み上げるようにアレックスに
告げた。
「さっき……シンクロテストの前に、私の所に報告が来たのだが……」
 ずきんと、アスカの心臓が高鳴った。
(まさか……日本へ行くパイロットが決まったんじゃないでしょうね!)
 許してはならない。
 アスカ以外の誰かがナンバーワンになり、前線へ送られるエリートになってはなら
ない。
 それは惣流・アスカ・ラングレーのためだけに存在する物だから。
 だが司令の次の言葉は、アスカの想像を超えていた。


「アレックス、昨日、君の母上が亡くなったそうだ」


「……!」
 アスカは、息を呑んでいた。
 視界が、揺れる。
 知らず知らず、加持の腕を掴んでいた手に力がこもる。
(アレックスの……お母さんが、亡くなった)
 母親が、死んだ。
 母親が、死んだ。
 母親が、死んだ。
 その言葉は、言葉以上の意味を持って、アスカの心に刺さった。それがたとえ、他
人の母親の死でも。
 耳は、風に揺れるキンポウゲのざわめきを捉えている。
 ざわわ、ざわわ。
 ここにはない音を、記憶は完璧に再現してくれる。本人が望むと望まざるとに関わ
らず。
「……」
 部屋の中で、揺れる人影。
 ゆらゆら、ゆらゆら。


 アスカは、恐る恐るアレックスの顔を見る。
 ……そしてもう一度、アスカは息を呑んだ。


 アレックスは。
 笑っていた。


「ふ〜ん、そうですか」


 アスカが今まで見たこともない表情で、アレックスは笑っていたのだった。




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